はじめに
ベトナムで経理と話していると、会議中は「分かりました」で終わったのに、翌月の処理を見るとまったく違う方向に進んでいる、という場面があります。
管理者は「なぜ伝わっていないのか」と感じます。一方で、チーフアカウンタント(以下、「CA」)側は「説明したはずなのに、なぜ理解されていないのか」と感じています。
この問題は、必ずしもCAの能力や通訳者の語学力だけで起きるものではありません。会計・税務の話は、単語を訳すだけでは足りません。制度の前提、数字の意味、リスクの重さまで一緒に伝わらないと、会話として成立しないからです。
英語で直接やり取りできる場合でも、会計や税務の前提が違えば誤解は起こります。ただ、管理者が英語を十分に使えず、CAが管理者の母国語(日本語・韓国語・中国語など)を話せない場合は、そこにさらに「翻訳のズレ」が重なります。
難しいのは、当事者の誰も悪意を持っていないことです。管理者は正しく指示したつもり、CAは正しく理解したつもり、通訳は正しく訳したつもり。それでも、会計処理の方針や数字の意味が、三者の間で少しずつズレていくことがあります。
本稿では、通訳を介したベトナム経理との対話で何がズレやすいのか、経営上どのようなリスクにつながるのか、そして管理者として何を変えればよいのかを整理します。
1. 通訳を介すと、会計の何がズレるのか
通訳者個人を責めたいわけではありません。むしろ問題は、会計・税務の専門論点まで、通常の通訳だけで処理しようとしてしまう体制にあります。
専門用語が、似た言葉に置き換わる
通訳者の多くは、語学のプロではあっても、会計・税務の専門家ではありません。日常会話や一般的なビジネス会話であれば問題なく訳せる方でも、「繰延税金資産」「引当金」「未実現利益」「移転価格」といった言葉になると、正確な対訳をその場で当てるのは簡単ではありません。
たとえば、日本語の「未払金」「未払費用」「買掛金」は、経理実務では別の意味を持ちます。しかし通訳の場では、似たような表現としてまとめて訳されてしまうことがあります。CA側はベトナム会計基準(VAS: Vietnamese Accounting Standards)上の勘定科目や実務上の処理で考えているため、訳語が曖昧だと、どの科目の話をしているのかがズレます。
会計と税務の前提が、まとめて話されてしまう
もう一つ大きいのは、国によって会計・税務の前提が違うことです。日本基準、韓国基準、IFRS、VASは、似ているようで細かい考え方が異なります。さらに、会計上の処理と税務上の損金算入は、同じ話ではありません。
たとえば、本社が日本基準の発想で「この費用は当期に計上してほしい」と指示しても、ベトナム側では会計上の認識時点や、税務上の損金算入・証憑要件を別途確認する必要があります。そのため、本社の意図をそのまま処理に落とし込めないケースがあります。
ここが通訳で簡略化されると、管理者には「できるはずのことをCAがやらない」と見えます。CA側には「制度上そのまま処理できないことを、管理者が理解してくれない」と見えます。話しているのに、前提が揃っていない状態です。
通訳者が「分からない」と言いづらい
会議の場で、通訳者が「この会計用語は分かりません」と言うのは、心理的にかなりハードルがあります。特に、経営者や本社担当者が同席している場では、なおさらです。
その結果、通訳者は文脈から推測して訳します。普段の会話なら大きな問題にならないこともありますが、会計・税務では一つの用語の取り違えが、数字や処理方針全体の理解を変えてしまいます。しかも誤訳は、その場では気づかれにくいです。
2. 現場でよく起きる5つのすれ違い
実務で見ると、通訳を介した経理との対話では、同じようなすれ違いが何度も起きます。大きく分けると、次の5つです。
パターン1:金額・数字の桁と「確度」がズレる
ベトナム語、日本語、英語では数字の単位感が違います。会議中に口頭だけで金額を確認すると、桁を取り違えることがあります。
また、「だいたい」「見込み」「確定」「まだレビュー前」といった数字の確度も抜けやすいです。管理者は確定値として受け取ったが、CAにとってはまだ暫定値だった。こうしたズレは、月次報告や資金繰りの判断にそのまま影響します。
パターン2:「できない」の理由が伝わらない
CAが「それは税務リスクがあります」「証憑が足りないので、そのままでは処理しづらいです」と説明しても、通訳を介すと「CAができないと言っています」だけで終わることがあります。
これでは、制度上の制約なのか、社内資料が足りないのか、CAの経験不足なのかが分かりません。管理者が本当に知るべきなのは、「できない」という結論ではなく、「なぜできないのか」です。ここが落ちると、CAへの不信感だけが残ります。
パターン3:「確認して」と「処理して」が混ざる
管理者は「この数字を確認して」と言ったつもりだった。しかしCA側には「この数字で処理して」と伝わっていた。翌月のレポートに反映されてから、初めて認識のズレに気づく。これは実務上かなり起きやすいパターンです。
依頼なのか、確認なのか、確定指示なのか。この発言の性質は、通訳の場で最も失われやすい情報の一つです。
パターン4:リスクの重さが薄まる
CAが「これは税務調査で否認されるリスクがあります」と言っているのに、通訳後は「少し問題があるかもしれません」程度に聞こえることがあります。
言葉としては大きく間違っていないかもしれません。しかし、経営判断に必要なリスクの重さは伝わっていません。会計・税務の会話では、この「温度感」のズレが非常に危険です。
パターン5:曖昧な相づちが「同意」と受け取られる
通訳を介した会話では、内容を完全に理解していなくても、会話を止めないために「はい」「分かりました」と返ってしまうことがあります。これは不誠実というより、現場でよく起きる自然な反応です。
ただ、管理者側がそれを「CAが同意した」と受け取ると、実際には理解も納得もしていない事項が、合意済みとして進んでしまいます。後で問題が起きたときに、「言った/聞いていない」の話になりやすい部分です。
3. 「伝わっていないこと」が経営リスクになる
通訳を介した伝達ギャップは、単なるコミュニケーションのストレスでは終わりません。経営判断やコンプライアンスに直接影響します。
意思決定の前提がズレる
管理者が受け取る数字や説明にズレがあれば、その上に立つ判断もズレます。資金繰り、投資判断、価格設定、本社への報告など、経営判断の土台が不安定になります。
特に月次報告では、「数字そのもの」だけでなく、「その数字が確定なのか、見込みなのか、税務リスクを含んでいるのか」が重要です。ここが伝わらないまま判断すると、後から大きな修正が必要になることがあります。
税務・コンプライアンスの警告が埋もれる
CAが伝えようとした税務リスクが弱く訳されると、本来は避けられたはずの否認リスクや申告上の問題が見過ごされることがあります。
後の税務調査で問題が出たとき、CAは「以前から伝えていた」と言い、管理者は「そこまで重大だとは聞いていない」と言います。こうなると、誰が悪いかの話になりがちですが、本質は、リスクの伝え方を設計していなかったことにあります。
CAが静かに疲弊する
自分の説明が正しく伝わらない。リスクを指摘しても軽く扱われる。何度説明しても、同じ論点が戻ってくる。こうした状態が続くと、CAは少しずつ疲弊します。
優秀なCAほど、単に作業をこなすだけではなく、会社を守るためにリスクを伝えようとします。その声が通訳の壁で届かない状態が続けば、「この会社では言っても意味がない」と感じ始めます。これは、CAが静かに離れていく一つの原因になります。
4. 管理者がまず変えられること
通訳を完全になくすことは、現実的には難しい会社も多いと思います。それでも、管理者側の進め方を少し変えるだけで、認識のズレはかなり減らせます。
重要事項は、口頭だけで終わらせない
会計処理の方針、本社との取り決め、税務リスク、決算上の判断などは、会議中の口頭説明だけで完結させない方が安全です。
最低限、メールや議事メモで残す。可能であれば、論点、結論、未確認事項、次の対応者を分けて書く。これだけでも、後から揉めるリスクはかなり下がります。
数字と勘定科目は、必ず書いて確認する
金額、税率、勘定科目、対象期間、申告期限などは、口頭だけで確認しない方がよいです。その場で画面、紙、ホワイトボードに書いて確認するだけで、桁や対象範囲のミスは大きく減ります。
会計の話は、耳で聞くより、目で見た方が早いです。特に金額と科目名は、必ず文字で確認する習慣を持つべきです。
会計が分かる通訳・人材を重要な場面に入れる
すべての会議に専門人材を入れる必要はありません。ただし、決算方針、税務調査、移転価格、本社報告、投資判断など、ズレたときの影響が大きい場面では、会計・税務の基礎が分かる人を介在させた方がよいです。
専任の通訳を雇うのが難しければ、バイリンガルの経理人材、会計事務所の二言語対応スタッフ、外部アドバイザーをスポットで入れる方法もあります。常時でなくても、節目だけ入るだけで、話がかなり整理されます。
「分かりましたか?」で終わらせない
「分かりましたか?」と聞けば、多くの場合は「はい」と返ってきます。問題は、その「はい」が本当に理解を意味しているか分からないことです。
重要な指示については、「では、どのように処理する予定ですか」「どの資料が足りませんか」「税務上のリスクは何ですか」と、相手の言葉で説明してもらう方が安全です。説明を聞けば、ズレはその場で見えます。
管理者側も、最低限の前提を知っておく
管理者が細かい会計処理まで覚える必要はありません。ただ、VASと本社基準は違うこと、会計上の処理と税務上の損金算入は別の論点であること、ベトナムでは証憑要件が重要であること。この程度の前提を知っているだけで、CAの説明の受け止め方は変わります。
すべてを通訳に任せるのではなく、管理者自身も「なぜCAがそう言うのか」を想像できる状態にしておくことが大切です。
5. 採用・体制を考えるときの視点
この問題は、通訳の運用だけでなく、経理体制や採用にも関係します。会社によっては、単に語学力の高い人材を採用するよりも、会計・税務の基礎があり、管理者との橋渡しができる人材を置く方が効果的な場合があります。
こうした点を整理したうえで、社内で採用活動をするのか、ヘッドハンターに相談するのか、求人プラットフォームを使うのかを検討すべきと思います。
おわりに
通訳を介した会計・税務の対話で起きるズレは、誰か一人の能力不足だけで説明できるものではありません。専門用語、制度の前提、数字の確度、リスクの温度感。これらが少しずつ落ちることで、会議では合意したように見えても、実務では違う方向に進んでしまいます。
だからこそ、管理者は「通訳を入れているから大丈夫」と考えない方がよいです。重要事項は文書で残す。数字と科目は書いて確認する。相手の言葉で理解を確認する。必要な場面では、会計が分かる人材を介在させる。
会計・財務の数字は、経営判断の土台です。その土台が、言葉の壁で少しずつ歪んでいないか。まずは自社の会議や報告の進め方を見直すことから始めるべきだと思います。
FAQ
Q1. 会計の知識がある通訳者は、どうやって見つければよいですか?
一般的な通訳エージェントだけで探すより、会計・財務分野の人材紹介、バイリンガル経理経験者、会計事務所の二言語対応スタッフを候補に入れた方が現実的です。常時ではなく、決算説明や税務調査対応など重要な場面だけ入ってもらう方法もあります。
Q2. 通訳を介すと時間がかかります。効率と正確性はどう両立すればよいですか?
すべての会話に同じ精度を求める必要はありません。日常連絡は通常の通訳で進め、決算方針、税務リスク、本社報告、投資判断など、ズレると影響が大きい論点だけ丁寧に確認するのが現実的です。
Q3. CAが「分かりました」と言ったのに、後で認識がズレるのはなぜですか?
通訳を介した会話では、内容を完全に理解していなくても、会話を止めないために「はい」と返ってしまうことがあります。重要な指示については、「どう処理する予定か」「何が未確認か」を相手の言葉で説明してもらう方が安全です。







